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投稿者 |
メッセージ |
piyo
登録日: 2005.12.23
所在地: 富山
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日時: 2006年Mar29日(Wed) 19:51 記事の件名: |
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Quote: | あと、「棒回し」という名称も出てきていますが、それも元はペン回しの技なので回しているものが変わったペン回しでいいと思いますが。。。 |
ペン回しはバトンジャグリング等からの技もあります。ペン回しからきた技だからペン回しというのは、ペンを回しているからペン回しの間違いだと思います。
っていうかもうなんかもう何がペンだか棒だか区別つかんです。
今のところ
・字が書けるものでペンと呼ばれるもの
・もともとはペンだった改造ペン
とかがペンでいいですか?
そんでそれらを回しているのがペン回し _________________ 多忙につき、勉強の友としてペン回しと付き合っております |
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jjjj
登録日: 2006.03.27
所在地: 東京
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日時: 2006年Mar29日(Wed) 20:31 記事の件名: |
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>piyoさん
そんな感じでいいと思いますよ。
最終編集者 jjjj [ 2007年Jun28日(Thu) 15:19 ], 編集回数 1 回 |
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bonkura[SF]
登録日: 2005.09.02
所在地: 滋賀県
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日時: 2006年Mar29日(Wed) 21:09 記事の件名: |
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何だかややこしいことになってしまいました。
前にも述べました通りこの件は、
ペンかペンでないかという表層的な問題よりも、
「回す」という一連の動作でとらえた方が良いと思います。よって、
Quote: | 「ペン回し」という言葉を一連の動作をひっくるめたひとつの慣用的な名詞として解釈すれば解決するのでは? | ↑この意見に概ね賛同します。
ただし”名詞として解釈”みたいに堅い言葉でガチガチに定義するのではなく、あくまでファジーに。
Quote: | 自分がペン回しをしているということを自覚し、それを相手に認めてもらえれば、はじめてペン回しと呼べるようになるのであると思っています。 | ↑これについては、前半は同意ですが後半は納得しかねます。
「相手に認めてもらう」ことはどうしても必要なのでしょうか。
他者に認めてもらえなければペン回しではないということでしょうか。
個人がペン回しを楽しむために第三者の認定が必要ということでしょうか。
「相手」というのが具体的に誰を指すのかわかりませんが、
少なくともこれは私の望むペン回しのあり方とはかけ離れているように感じました。
Quote: | そういうのはペン回しでも棒回しでもない、ただの回し遊び。 | ↑それで良いのではありませんか。
「ペン回し」「棒回し」という呼び名に縛られない純粋な回し遊びにこそ、
我々の原点があるのだと思います。
(※蛇足ですが、「回し」だからといって回転運動だけにこだわる必要はなく、
ペンを投げたり揺らしたり飛ばしたりといった動きも十分ペン回しの範疇に入ると思います)
やや横道にそれた感じですがこれが私の意見です。
名前や見た目にこだわらず。
他者の評価や呼び名を気にせず。
「文章的に」「辞書的に」のようなうわべだけの定義にとらわれず。
各自が好きな方法で好きなものを回すのが、ペン回し本来のあり方ではないでしょうか。 _________________ 生涯旋転 |
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Crasher
登録日: 2005.09.02
所在地: Tokyo
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日時: 2006年Mar29日(Wed) 22:31 記事の件名: |
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bonkuraさんのおっしゃることはわかります。
我々はいつからか、ペン回しを完全な遊びとしてみていました。
その視点から見れば、回転が本質というのも納得できる話です。
しかし、もともとのペン回しというのがありました。
HIDEAKIさんが研究したペン回し。世間に浸透したペン回し。
これが我々の祖先でした。今ではHIDEAKIさんのページの
ルーツを探る、などには誰も見向きもしないでしょうが、
これは我々がペン回しを遊びとしてしか見ていないからです。
起源的なペン回しというものがあって、その回転のみに注目してできたのが、
その他のサイトでした。
ペン回し道場もその1つです。
このあたりをbonkuraさんは祖先としてお考えでしょうか。
もし「私のペン回しの歴史」を祖先と考えていらっしゃるのであれば、
それは一面的な見方だと思います。
どちらかというとHIDEAKIさんは回して遊ぶというよりペン回しを研究するということに
興味があったそうです。
私は、起源的なペン回しの価値に気がつきませんでした。
しかし、久しぶりに戻ってきて「棒回し」が普及しているのを見て、
やっとペン回しは「ペン」だから価値があるのだと気がつきました。
私個人としては、起源を知っているがゆえにペン回しが棒回しになってしまうことは悲しいです。
私はこの起源的なペン回しを大切にしたいのです。
ペン回しはペンを回すから価値があるのだという人もいます。
逆に回すことにこそ価値があるのだという人もいます。
どちらが正しいともいいがたい問題だと思います。
私が思うに、自分の立場をしっかりと表明したうえで、お互いに必要以上に干渉しない、
ということが最善の策のように思います。
頑固にペンを回し続ければ、現在のところ高評価を得るのは非常に難しい状況にありますが、
早々とペンを回し続ける人はペンしか使わないと宣言してしまえば、
「ペンが短いせいで見栄えが悪い」という他流を自分流で見てしまうことはある程度防げると思います。 |
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cir
登録日: 2005.08.30
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日時: 2006年Mar29日(Wed) 23:01 記事の件名: |
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Crasherさんに一つお聞きしたい事があるのですが
「起源的なペン回し」とは “「ペン」によってどんな技が出来るか“ を研究するものであった、ということでしょうか? |
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Crasher
登録日: 2005.09.02
所在地: Tokyo
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日時: 2006年Mar29日(Wed) 23:20 記事の件名: |
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というよりは、世間一般に普及しているペン回しのことです。
授業や暇なときにくるくると半ば無意識のうちに回す、あれのことです。
回転パターンというのは、ルーツ、歴史、その他の一部でしかないと思います。 |
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スイカK
登録日: 2006.01.09
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日時: 2006年Mar30日(Thu) 07:20 記事の件名: 『ペン』を回すペン回しから始まったペンを『回す』技術こそが今 |
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私は、bonkuraさんの意見に概ね賛成です。
そもそもこのスレッドはペンであるか棒であるかなどを議論するスレッドではなく、
ペン回しとは何なのかということを議論するスレッドだと思いました。
私はこの中の皆さんの意見を見た限りでは、ペン回しを「ペン回し」という一つの慣用的概念として認識するということが最も大事だと思いました。
そしてそのペン回しの意義の多くは、『ペンを』回すということではなく、何かを『回す』ことにあると思います。
しかしここで言っている『ペン回し』とは、一つの大きな慣用的概念であるペン回しです。
逆に、ペン回し本来の、原点の姿は、やはり『ペンを』回すことから成っていると思っています。
また、現在繁栄し、広まっているペン回しは原点であるペン回しから発展し、存在しているものだと認識することが大事であると思います。
一言で言ってしまえば、ペンか棒かの問題は別として、ペンでないものを回すことで『ジャグリング』という名称で
呼ばれることも十分ありえるある上に、そう称されることは何ら不思議でもなく、構わないと思います。
しかし、元、根っこの部分から言ってペン回しとは『ペンを』回すということなのです。
また、ジャグリングと称されるまでにもなった技術はその『ペンを』回すペン回しから生まれたもので、
だからこそジャグリングのようにバトンだとかを回してもペン回しの技術であると、ペン回しであると言えるのです。
現状、ペンでないものを回していてもペン回しという名を借りて公表したりするのは当たり前だし、
ペンでないものを回して『ペン』回しに似せることもまたペン回しと言われるのです。
ですので『ペンを』回すペン回しから始まり、発展し、進化を遂げたペンを『回す』ペン回しこそが、慣用的概念『ペン回し』であると私は思います。
私は最近からですが、今までペン回しのネットワークのいろいろな動画を見てきて、
何一つとして『これはペン回しであるのか?』などと疑ったことは一度もありません。
なぜなら私の認識しているペン回しというものが、『ペン』回しから始まったペン『回し』というペン回しだからです。
ですのでペンを回すことこそが本来のペン回しの姿であると思いますし、この先どれだけペン回しの歴史が続いても
それを認識することが大事だと思います。またそれと同時に、ペン回しの回す部分を意識して技術向上を図るのが
ペン回しだと思いますので、皆自分の思うがままにペン(ペンで無いものも含め)を取って回す技術を高めればいいと思います。
そのように認識すれば、ペン回し(ここで言うペン回しはペンを回すことではなく、ペン回しと呼ばれる全ての回す技術のこと)
において回すものがペンであるか否かを議論する意味はないし、現代になってペンのみと規制することは不可能である上に、
ペンでないものを回すという技術がペン回しとして認識されているのです。
ペンでないものを回してもそれは漠然にペン回しと呼ばれているのです。
なぜなら、それはペンを回すペン回しから発展したものだからです。だからこそ今もペン回しと呼ばれているのです。
ここで言うペンで無いものとはバトンとか大袈裟なものではなくて、無駄に改造を施したり書けないペンであるものです。
そのようなものを旋回させる技術を、ペン回しでないと言えるのでしょうか。
それは確かにペン回しが始まった従来の元祖ペン回し(ペンを回すこと)ではありません。
しかし、ペンを回すという概念から始まった技術であり、全てペンを回すという行為に通用し、精通しているからこそそれは
ペン回しであると言えると思います。現に、誰しもが初めての時はそこら辺で買ったお手ごろなペンを手にとって練習するはずです。
如何に改造が施され、ペンと呼べなくなったものを回し始めても、ペンを回すというペン回しを原点に置き、考えているのです。
どこのペン回し紹介サイトに、RSVP MXを使って練習しましょうと薦めてありますか。
それこそそこら辺で買ったお手ごろな値段のペンを回したり、授業中、暇だったりしたら回せるからペン回しというものは良いのではないですか。
安いだとか、いつでもできるだとか、用意するものは手とペンのみとか。そういう良い部分から始まっているペン回し本来の姿を、
現代のペン回しの社会が見捨てるわけはないのです。たとえこれからペン回しがバトン回しに発展してしまっても、
何処から新参者が来るでしょうか。バトンを回すことに興味が湧くのでしょうか。
私はJapEn 1stを見てペン回しに興味を持ち、自分でもできるかな?と練習してみようという気持ちになりました。
それは紛れも無いペンを回しているというペン回しを見たからです。JapEn 1stに出演されているペンが棒かどうかはまた別として、
それは『ペン』回しから発展したペン『回し』、すなわちペン回しであり、『ペン』から始まった『回し』だからこそ興味を持ったのです。
バトンなんか回しているのを見て、誰がこんなに夢中になって練習しようと思いますか。
皆ペン回しが好きなのは、ペン回しが『ペン』回しから始まったペン『回し』であるからなのです。
ですのでペン回しがこれからペンから相当かけ離れたものに変貌を遂げることはないのではないかと思います。
ここで一旦私の意見をまとめさせていただきますと、まず、我々の言っているペン回しとは
現在我々がそう認識しているように、ペン、またはペンのような棒を回す技術であり、それそのものであると考えます。
しかし、その我々が認識しているペン回しとは、ペンを回すペン回しからきている(発展している)わけであり、
ペンを回すペン回しの良さに惹かれたからこそそれをペン回しと認識しているのです。
そしてこのスレッドでもう一つ気になったのが、ペン回しという作品についてです。
ペン回しという作品というのは、技単体であったり、もちろんFSだったり、CVなどのことです。
それをペン回しと呼ぶかどうか、また、それを自分がどう認識するかですが、
前者の問題は既に上記しました内容で解決していると思います。
何を回そうがそれがペンを回すペン回しからきているペン回しであればペン回しであると思います。
問題は後者ですが、これも私の中ではかなり簡単に答えが出ております。
一言にまとめると、私は『自分が楽しければいい』と考えております。
もちろん、自分が楽しいペン回しで他の人も楽しいなら、それは一つの『幸せ』として最高の形です。
しかし今のペン回しの社会ではやはりそれは難しいことだと思いますので、まずはやはりペン回しとは自分が楽しむものかなと。
自分で回していて楽しくないのなら、それはペン回しをやっていることにはならないのではないでしょうか。
また、自分のやりたいように回していないのなら、それはペン回しをやっていることにはならないのではないでしょうか。
誰かに、とてつもなく難しくて、世間体で言われるかっこいいFSを既定の日にちまでに完成させろと言われても、
自分が回したくないのなら、回したくない気分なのなら、鬱陶しいだけなのではないでしょうか。
誰かに意味不明な構成のFSを組まされて、やってくれと頼まれた場合にも、やる気がないのなら嫌なだけでしょう。
そんな風に、やはりペン回しをやる場合には自分の回したいという意思がなければダメだと思います。
別に、回したくないのなら回すなと言っているわけではありません。回したくもないのに回すなんて、気持ちよくないでしょうということです。
なにか自分のFSをやって載せるにも、CVを作ったりするのも、やりたくてペンを回し、その自分のペン回しを、
大袈裟な言い方で言えば愛し、だからこそ、他人へ自分を発信するのです。
また、そうなってくると、最早世間体で言われる内容は伴ってきません。その人の気持ちの全てがそのペン回しに表されているのです。
ですので他人が何と言おうがそれが自分のペン回しなのだし、下手だとか雑魚だとか言われても、それが自分のペン回しなら
愛せるのではないでしょうか。愛しているから、批判されたときにヘコむのです。自分そのものを否定されたことになるからです。
ですから他の人が頭ごなしにそのペン回しを否定し、あまつさえ回している人の気持ちなんて考えようもしないものなら、
最早それはまったくの無意味です。見せることに意味はあっても、見ることに意味はありません。
本当にその作品(ペン回し)を見て、その人の実力が分かり、意気込みがわかり、技を切り替えたりする時のリズムとか、技のスピードとか。
その人のいろいろな要素がペン回しには反映されているわけですから、それを自分がまた見てあげることで、
ペン回しがより楽しくなると思います。
また、ペン回しは人に上手く見られようと思って回して上手いと評価されるものではなく、
自分の回したいように回して上手いと評価されるものだと、教わりました。
まったくその通りだと思いました。その人はペン回しを一つの芸術と呼べるものになるということが可能なほど、
ペン回しというものがスピナーの心を反映するものだということを知っています。
ですから、要は自分の回したペン回しが自分の全てなんです。責められる必要もなく、とても自由な存在なのです。
だから、ペン回しは自分の回したいように、好きなように回し、またそれをペン回しであると認識する意識が必要だと、私は思いました。
誰に評価されてそれをペン回しであると決め付けるわけではないのです。
自分自身で回すペン回しこそが、それこそ本当に一番大事なペン回しであるのです。
とても主観的な文章で長くなってしまい、失礼しました。m(_ _)m |
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piyo
登録日: 2005.12.23
所在地: 富山
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日時: 2006年Mar30日(Thu) 10:03 記事の件名: 改めて・・・。 |
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多くの方々の意見を読み、改めて考えさせていただきました。
Quote: | ペン回しはペンを回すから価値があるのだという人もいます。
逆に回すことにこそ価値があるのだという人もいます。 |
これは両者とも支持者にバラつきがあると思います。
今の自分は回すことにこそ価値があるのだと考えています。
前者を重視すると、ペン回し界で生まれた「ペンの改造」という独特の文化が無くなってしまいます。それで困るスピナーも多くなるはずです。
後者はその逆です。自由なペン回しが出来、改造だって自分なりに自由に出来ます。さらには新たな技も見つける事が出来ます。
ペン回しだけじゃなく、何事にも自由というものが必要です。
何かに押さえつけられて、それでいて満足できる人間が多くいるとは思えません。
自分のやりたいからにやることこそが、ペン回しにも必要です。
だからこそ、今の自分は後者よりの意見なんです。
Quote: | 各自が好きな方法で好きなものを回すのが、ペン回し本来のあり方ではないでしょうか。 |
Quote: | 授業や暇なときにくるくると半ば無意識のうちに回す、あれのことです。 |
Quote: | 自分自身で回すペン回しこそが、それこそ本当に一番大事なペン回しであるのです。 |
この3人の方々の意見を読んで、自分が自分を見失っていたように思いました。
回すものに固定観念を持ち、そのほかの事は認めようとしない。とても身勝手でした。
必要以上に定義を関連させ、さらにはペンが何であるかすらをややこしく考えさせてしまったようです。
さらにこのpさんの『字が書けないペンは「ペン」じゃなくて「棒」ではないでしょうか』という題からそれさせてしまいました。すみませんでした。ほんと、自分って馬鹿ですよね。はは。
ですが自分は皆さんの意見を読んで、改めてペン回しは「個性」が反映される、人それぞれの形を持ったものだと思えるようになってきました。
人に何を言われようと自分がペン回しをしていることに変わりはない。
それこそが自分の「ペン回し」である、と。
それに、スイカKさんの言うように、ペン回しは一種のジャグリングでもあります。
自分は、ペン回しは「ペン」を回すことに意義があるといいましたが、皆さんの言うとおり、「ペン回しというジャグリング」を棒でも箸でも、何を回そうと指先でやっている限り自分はペン回しをしていると言えるのでしょう。
長々とすいませんでした。 _________________ 多忙につき、勉強の友としてペン回しと付き合っております |
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Zasso
登録日: 2005.12.26
所在地: 福島
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日時: 2006年Mar30日(Thu) 15:55 記事の件名: |
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ペンを回す理由なんて人それぞれ。だから好きに回してていい。
って感じの意見が自分です。
ただCrasherさんのようにお互い干渉しないようになるのは少しさびしいです。
お互いが干渉しなくても見る人(一般時も含む)はどうしてもそれぞれを比べます。
普通のペンで回す人と改造したペンで回す人を新参様が見比べたとき前者の方がジャグリング的な面で見下されたり、後者が「棒回しじゃん」と批判されたりすることが起きると思います。
またこれでペン回し界が2分されるようでは悲しいです。
自分は何ともいえませんが、お互いがそれぞれの意見も認め、考慮した上で回して欲しいと思います。
両方ともまちがいなく「ペン回し」なのですから、もう片方を批判したり別な物と見たりしないで欲しいです。 |
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bonkura[SF]
登録日: 2005.09.02
所在地: 滋賀県
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日時: 2006年Mar30日(Thu) 16:07 記事の件名: |
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Crahserさんのご意見を拝読して、少々考えを改めました。
「起源的ペン回し」という概念にまで思い至らず、
自分勝手な綺麗事ばかり並べてしまったことを反省したいと思います。
私は以前「世間体を気にせず各自が好きなものを回せばいい」と言ってしまいましたが、
ペン回しがその起源において「世間」に根ざした存在である以上、
「世間」の認識から逸脱した常識はずれの”遊び道具”を使うことは避けねばなりません。
「自由にやればいい」「人それぞれ」を持ち出す前に、これを念頭に置くべきでした。
とんだ失態です。
ただし、Crasherさんの言う起源時代(HIDEAKIさんらの活躍された時代)においても。
やはり”回し遊び”や”ジャグリング”、あるいは”エンターテイメント”
の要素は少なからず存在していたはずだと考えます。
しかもそれは、一部の急進的なスピナーだけが持っていたものではなく、
「世間」一般に力強く根を下ろしたものであったと思っております。
(極端な例ではありますが、HIDEAKIさんのテレビ出演などをその論拠とします。詳細は長くなるので割愛)
つまりCrasherさんらの憂慮されるジャグリング的要素の台頭は、
何も無いところからいきなり出てきたものでは決してなく、
むしろ起源時代から潜在的に内包してきたものが、近年のペン回し界全体の大規模化(フォーラム設立やCV作成の激化)
に伴って顕在化したものと考えられるのです。
まとめます。
「起源」と「本質」を無視してはいけません。
ペン回しの誕生から現在まで脈々と続く「流れ」を忘れてはなりません。
過去を顧みず、違いを認識せず、ただ「十人十色」を叫ぶだけでは思考停止と同じことです。
しかしながら。それを考慮した上でなお。
「今の流れが必ずしも起源・本質から逸脱しているわけではない」と私は考えます。
解釈の仕方によっては、太古の起源より連綿と引き継がれてきた回転重視やジャグリング志向の萌芽が
今ようやく目に見える形になってきただけとも取れるからです。
このように元々は1つの源流だったのですから、
今必要なのは、互いを否定せず認め合い共存しようとする姿勢ではないでしょうか。
以上の趣旨(の一部)はすでにCrasherさんにPMでもお伝えしてありますし、
またこのトピック本来の話題からは少し脱線してしまうものでもありますが、
「まず自分がどちら派の人間なのか明確にし、その上で共存を図るべき」
というCrasherさんの理念に共鳴し、ひとまず私の立場を明示しておきたいと思いここに改めて書き込みました。 _________________ 生涯旋転
最終編集者 bonkura[SF] [ 2006年Mar30日(Thu) 16:29 ], 編集回数 4 回 |
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guruguru
登録日: 2006.02.19
所在地: 埼玉
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日時: 2006年Mar30日(Thu) 16:09 記事の件名: |
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羽ペンについて
先日の書き込みで、削除した部分に、「つけペン」という語がありました。
てことは、やっぱペンですね。それ以前に、堂々と羽<ペン>って言ってますし。 _________________ 皆さん、クリック募金にご協力を!
↓コチラ!
http://www.dff.jp/ |
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Crasher
登録日: 2005.09.02
所在地: Tokyo
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日時: 2006年Mar30日(Thu) 17:51 記事の件名: 整理整頓 |
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とりあえず、もうこれはどちらが正しいという話し合いではないと思います。
ただあまりに改造容認派に誤解されるために、なぜ私が改造しないものが
「真のペン回し」だと思っていたのかについて少々述べたいと思います。
私はHIDEAKIさんのページの次にペン回しのホームページ、ペン回し道場を作りました。
それは、HIDEAKIさんたちの「ペン回し」を無視して、自分で勝手に捻じ曲げた上で、
ペン回しを認識していたのです。
それが現在のペン回しの流れにおいて、あまりにも「起源に目を向けない」ということを
生み出した根元の原因だと思っていました。
その回転重視のペン回しが悪いとは今は別に思っていませんが、
とにかく、HIDEAKIさんたちの姿勢を知らないままに、自分勝手にペン回しを規定してしまったこと、
それは大きく反省しています。
知った上での「改良」や、「発展」ならともかく、私がやっていたのは、「誤認」と「曲解」でした。
それでまた、勘違いしないでほしいのは、これだからペンを使うべき、というのはもう、
言いません。
ここはスイカKさんの言うとおり、起源に思いを馳せるだけで十分なのかもしれないと思います。 |
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wacchi
登録日: 2007.02.15
所在地: 福岡 北九州
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日時: 2007年Mar11日(Sun) 13:35 記事の件名: |
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たしかに、皆さんのいうとうりです、
サッカーを『球蹴り』とか
野球を『球を棒切れで叩く遊び』とか
いいますか?
ペン回しもそうです
もうペン回しはれっきとした『ペン回し』なんですよ!
『棒回し』なんていわせません!
そもそも相手の趣味を侮辱する人は最低ですよ
みんなそれぞれ好きなものがあるんですから、
それを楽しいと感じているから趣味なんですよ。
私の周りにペン回しを侮辱する人はそう教えてきました!
何の意味があるんだよなんていわれたらそこでおわりかもしれませんがねぇ!
サッカーも野球もなんだろうと、
趣味でやってればみな同じもんですよと言い聞かせりゃいいでしょう!
趣味で働いたらその時点で趣味は仕事になるんです。
趣味と仕事は別物なんですよ!
サッカーはお金稼げるじゃないかなんて言っても
所詮それは仕事に分類されるわけですよ
それに今ペン回しはかなりさまざまなメディアに取り上げられ、
注目の『遊び』です!すでに社会の既成概念というものによって
『ペン回し』と決定づけされてるんですから!
いまさらその既成概念崩してなんになるんですか
そのネーミングの悪い『棒回し』にでもしろというのですか?
少々熱く語りすぎました。
すんません<(-.-)> _________________ http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/wacchi5728/lst?.dir=/83cc&.src=bc&.done=http%3a//briefcase.yahoo.co.jp/&.view=l
↑BC
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SORD man[KTM]
登録日: 2007.01.27
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日時: 2007年Mar15日(Thu) 19:42 記事の件名: 場違いかもしれませんが・・・ |
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場違いかもしれませんが
私の意見を言わせていただきますと
まず
改造ペン・・・・もともとペン(筆記可)なもの、を組み合わせたもの
棒・・・・筆記できないものの組み合わせ
だと思っています
僕は
改造ペンを回すのは賛成です
ですが「棒」を回すのは
もともとのニュアンスから外れている、と思います _________________ 2ヶ月かんテスト勉強といいつつペン回ししてる俺はなんなのだろう |
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